学校という場所
なかなか難しいタイトルにしてしまった。笑
いきなりだけど、結論から言うと学校は毎日行かなくてもいいと思っている。
もちろん、楽しかったら毎日行ったらいいと思うし、
イジメがあって嫌な気持ちになるなら、行かなくてもいい場所だと思っている。
基礎の勉強ができる環境さえあれば、学校という【場所】は、私と息子にはあまり重要な場所ではないので、そう考えています。
しかし、日本国籍であると日本の制度はめんどくさく、義務教育(9年間)を受けなければ行けなくてとてもとても厄介なのです。
(義務とは?は、また別の機会で)
そして、勉強だけじゃなく友達との関わりが持てる場所でもあるのですが、私と息子は少しだけコミュニケーションが人より長けているのもあり、どこでも友達ができるので『学校は必要がない』と思う理由がある。
実際に、私は世界中に友人がいるので特に日本に固執する意味がないと思っています。
英語が話せるわけじゃないです、また海外にいる友人も日本語が話せるわけでもないけれど、一緒にクラブへ行きお酒を飲んだり、ランチにお寿司を食べたり、遊園地で待ち合わせも、ラニカイまで夜のバスでワイキキから1人でも行けちゃうくらいだし、シンガポールの端から端まで電車も乗れちゃうし、香港の朝から太極拳が盛んなヴィクトリアパークでランニングしよう!と早朝に待ち合わせをしたりもできる。
そう、とっても便利なスマホがあれば問題なく友人と遊べる。
(圏外でむちゃくちゃ焦ったことも)
ただ、それを体験してしまっているが故、世間の狭い考えの方とは全く話が合わないということが今回の息子の【学校でのいじめ】で理解ができました。
悲しいことのようにも初めは感じていたけれど、もう今は諦めに変わり、前に進むしかないので新しい家をまた探すことにしました。
判断も決断も早いです。
とてもいい場所だっただけに、惜しい気持ちも多少はあります。
釣りや旅行にハマっている我が家には、海や温泉に気軽に行けて、最高の場所だと思っていました。
しかし、子どもにとって大切な環境がとても悪ければ、それを無くすことを優先するべきなのです。
果たして皆さんはそれを理解して今の学校、先生、地域の人と関わっていますか?
家を買ってしまったから簡単に引越しができない、仕事の関係でこの場所から動けない、と子どもに選択肢を与えられていない親が多いな、と思いました。
まさに、今回はそのことをハッキリと私自身に気づかせてくれる事件でした。
『妥協』という言葉
時には必要なんでしょう、時には。
しかし、出来ることなら、
自分で決めることのできる人生ならば、妥協という言葉は要らないはずです。
ずっと私は凡ゆる事に挑戦をしてきました。
初めから出来ない事は考えません。
できるまでやってみる、それでもやっぱりダメなら妥協も考えなくてはならない、、、と。
子どもたちにも選択肢が多ければ多いほど、必ず人生は豊かになります。
学校へ行くことで、選択肢が必ずしも広がるとは思えません。
むしろ、もっと学校より学べる場所を子どもと親が一緒に探せばあるはずです。
学校へ行かなくたってどこでも生きていけれてる私が言うんだから、間違いないです。
学生時代は学校へ行きたくないのもありましたが、私は学校へ行かなくても優遇されていた、というのが正しいのですが、そのおかげで地元には友人が1人もいません。
自慢ではありませんが、同窓会にも呼ばれたこともありません。笑
信頼ある人間、思いやりのある人がそばにいるだけで十分です。
それに気付ける自分でいなくちゃいけないんですが、まずは大切な人を、大切にして欲しいと思います。
もっと深い思考で書きたかったのですが、なかなか清書もうまく出来ず、とりあえずアップします。
あ、これは【妥協】ですね😂